佐 屋 街 道

佐屋街道

 佐屋街道は潮路の東海道七里の渡しを避け、宮宿の熱田追分から陸路で岩塚宿、万場宿、神守宿を経て佐屋宿へ至ります。

佐屋宿の佐屋湊からは川舟で桑名宿へ渡る川路で佐屋路佐屋往還東海道佐屋廻りとも呼ばれました。
佐屋街道

徳川吉祥の道

 徳川家康は慶長二十年(1615)大坂夏の陣の出撃の際、佐屋街道を進軍し、佐屋から船出し、勝利を収めたところから佐屋街道は徳川吉祥の道といわれました。

大坂夏の陣 徳川家康

脇街道

 佐屋街道は寛永十一年(1634)徳川三代将軍家光の上洛の際、尾張藩初代藩主徳川義直によって佐屋街道は整備されました。

佐屋街道の開設当初は万場佐屋の二宿でしたが、嘉永十三年(1636)に岩塚宿、正保四年(1647)に神守宿が増設され、明和元年(1764)佐屋街道は東海道の脇往還として幕府道中奉行の管轄となりました。
佐屋街道

三里の渡し

 佐屋街道は陸路が六里、佐屋湊から川路が三里であったところから、潮路の七里の渡しに対して三里の渡しと呼ばれました。

三里の渡し伊勢湾の波浪や潮の干満によって航路が変わる七里の渡しよりも安全で、距離は短く船旅に弱い旅人や婦女子は好んで利用し、伊勢神宮の参宮者は津島神社を詣でるのが慣わしでした。
三里の渡し跡

             
宿












宿

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18.6km
行 程

  サア、それでは徳川吉祥の道に繰出してみましょう!

 行程は東海道熱田の追分から佐屋宿三里の渡し場迄です。

 宿村大概帳  六 里
 実     測   24.4km


佐屋街道地図

山と渓谷社から佐屋街道マップが刊行されました、佐屋街道ウォークにお役立て下さい。

●新版 ちゃんと歩ける東海道五十三次 (西) 見付宿〜京三条大橋
+佐屋街道 五街道ウォーク八木牧夫著

道中日記  伊勢街道ウォークの記録です、マップと組合わせてお読み下さい。