街道の食事

 ダイエット編は「日常ウォーク」ならぬ「日常食事」でした、今回は当然「街道ウォーク」ならぬ「街道食事」です。

午後の朝食、中山道奈井宿を早朝食事をせずに出
立 鳥居峠を越え薮原宿に至るも食事処ナシ 巴淵
山咲山手前のドライブイン「権兵衛」でやっと食事に
ありつく 納豆定食にラーメン

 ハッキリ言って街道の食事に関しては「無政府状態」です、何を食べてもいいのです、朝から晩まで歩き通すのですから、体と意思の要求するがままに食べましょう。

 とは言ったものの「無政府状態」から一気に暴動になり兼ねない状況になる事もあります、食堂はもとよりパン屋すら街道筋に無い場合があります、コンビニなどもっての他です。

 特に奥州道中の宇都宮〜白石間、中山道の信濃路は顕著です、国道や鉄道は宿場から遠く離れ「食堂」はそちらに移動してしまっているからです。

 その分喧騒から離れ街道ウォーカーにとっては歩き易く、又往時の遺構が数多く残されています、誠に結構な事ですが、腹は減ります。

  江戸時代は街道筋に立場茶屋等が点在していました、休憩を兼ねて名物の茶菓子等を味わったのです、「東海道中膝栗毛」の弥次さん喜多さんも色々な茶店でイタズラや失敗をやらかしています。

※ 立場茶屋(たてばちゃや) 街道筋の休憩所、立場とは駕籠かきが駕篭棒を立てかけて休息したところを由来としています。
  茶屋は宿内での商いです、大名等が休憩する茶屋を「茶屋本陣」と言います。

 往時の旅人は朝暗いうちから旅籠を発ち昼食まで腹具合がもたなかったのでしょう、それと当時の食事は質素であり、今風に言うと決定的なカロリー不足です、そこで不足したエネルギーを補給する為に茶屋で甘いものを口にしたのでしょう。

 現代の我々も街道を歩いて腹が減ると頭がボーッとします、頭の唯一のエネルギー源は糖質だそうです、チョコレート一個を食べても直ぐに回復します、昔も今も変わりませんネ。

 「名物にうまいもの無し」と言う諺があります、この諺あながち間違いではありませんネ、旅行帰りの友人から頂いた名物の土産、経験あります。

東海道 江尻宿の「追分羊羹」お茶を頂きました

 ところが街道を歩いて小腹が空いた時分に口にした名物は絶品なのです。

 東海道箱根西坂、山中新田「山中茶屋、竹屋」の
雲助だんご、府中「石部屋」の安部川餅、江尻宿の追分羊羹、四日市宿「笹井屋」のなが餅、鈴鹿峠を控えた坂下宿「前田屋製菓」の志ら玉、本来関宿の名物ですがここ坂下で製造されています、造りたてが賞味できます、中山道の現代名物「焼きまんじゅう」和田峠の「力餅」等々枚挙にいとまがありません。


  昼食(ちゅうじき)

 サテそろそろ昼食にしましょうか、我々は街道筋の「鄙(ひな)びた食堂」に好んで入ります、色あせ隅がほころんだ「○○食堂」の暖簾がかかる、古びた極々小さな食堂です、店の主人は俺一代で店閉いというような店がマイフェイバリットなのです。

 この手の食堂は妙に宿場風景に溶け込んでいるのです、そのような訳でファミレスには一切寄りません、「鄙びた食堂」ではずれた事はありません。

街道の定番

 昼食の王道は理屈抜きで「ラーメン」と「カツ丼」のタッグでしょう、いずれの街道筋の食堂のラーメンには昔懐かしい「のノ字」の入った「なると」が入り、カツ丼の上には紅ショウガかグリーンピースが鎮座し、たくあんが2〜3切れ付きます。

 春夏秋冬昼食はほとんどこの組合せです、「鄙びた食堂」のラーメンは判で押したようにサッパリした醤油ラーメンです、ですからカツ丼と絶妙なベストタッグとなるのでしょう。

 この「鄙びた食堂」は街道ウォークの楽しみのひとつになっています、「B級、C級グルメの旅」とでも言いましょうか、割とこだわっています。

 甲州街道のラーメンは意外と魚ダシのスープが多いのも不思議な気がします、これは若しかすると釜無川の鰍沢河岸との関連が今日まで続いているのでしょうか、興味が尽きません。

※ 鰍(かじか)沢河岸 富士川を利用した舟運で甲斐の鰍沢河岸(甲州道中)と駿河の岩淵(東海道)は繋がれていました。
  甲斐からは甲信地方の年貢米や物産が運ばれ、駿河からは塩や海産物が運ばれました。



  夕食と宴

 次はそろそろ夕食にしましょうか、陽が西に傾き影が長くなる頃、腹の虫がグーグーと鳴きだします。

 ウォーキングは継続的な全身運動です、そして効率の良い有酸素運動の典型ですから、
カロリー消費量が非常に大きいのです、日頃滅多に空腹感など感じない現代人でも旅に出ると腹が減ります、これが良いのです、本能に目覚めるのです。

中山道芦田宿の「金丸土屋旅館」 往時から続く旅籠 間口より奥行きが深い

 昼を過ぎ行程の目安が概ね立つと旅籠に予約の電話をします。

 出発前に宿泊の予約を入れたのはいいが、過去、夕方までに到着が出来ないことが多々あり御迷惑をかけました。

 そこで到着の見込みが立ってから予約することにしています。

 予約の場合必ず素泊りをお願いしています、直前の予約だからです。

 当然夕食も「鄙びた食堂」を求めます、早朝より30km、40km場合によっては50kmと歩き詰めで宿泊の目的地に到着すると、もはや空腹の権現と化してしまいます。

 ある時、下諏訪から中山道を歩き陽が暮れてから予定宿泊地の奈良井宿に到着しました、飛び込みで民宿に宿泊をお願いし、宿内に繰り出しました。

 幸い開いている「
食事処」は一軒のみです、笑顔が素敵な女将さんがウチは「山菜がふんだんに入った雑炊が自慢です」と奨めて下さったが、我々が出したオーダーは全員「かつカレー」です、風情もなにもあったものではありません、本能のままです。

 夕食が済みましたら、いよいよ「宿泊ウォーク」のメインイベントの準備です。

中山道 間の宿茂田井 酒林の下がる造り酒屋

 宿場に到着しましたら「酒屋さん」を確認しておきましょう、地方の宿場の酒屋さんの閉店時間は早いのです。

 基本は「焼酎」でしょう、夏場であれば氷とウーロン茶か緑茶(東海道袋井宿じこみ)割り、冬場であれば旅籠からポットで湯をもらい「お湯割り」です(これでは木賃宿ですネ)。

 そして中山道の信濃路や木曽路(他の街道にもあります)であれば地酒も結構です、両路とも街道筋に湧く清水がうまい、酒がうまくないはずはありません。

 江戸の宿場時代、本陣や脇本陣は地元の有力者が勤め、問屋は地の実力者が勤めました。

 問屋業務をテキパキとこなし、その如才なさのせいか
造酒屋を兼業し財を為した名家が今日まで受け継がれています。

 これらの酒とチョットしたツマミを買って旅籠に戻ります、間髪いれず風呂に入ります、ジックリ温まりましょう、疲労物質の乳酸が除去できます、ついでにコッソリ洗濯もしてしまいましょう。

 布団を敷き、そして即寝られるようにロールしておきます。

宴の後 中瓶は木曽福島の銘酒「中乗さん」

 ストレッチを済ませ、さあ宴会の開始です、これが結構盛り上がります。

 「街道ウォーク」の素晴らしさはたったの一日で十分な達成感が得られるところにあります。

 そこえもってきて仲間との「街道ウォーク」であればなおさらです、いやが上にも盛り上がります。

 でもハメを外すのではないかとご心配の方もいらっしゃると思いますが、心配ありません。

 一時間もすればグラスを持ったまま
居眠りをはじめてしまいます、朝立ちが早いですから、このあたりで床に入りましょう、「おやすみなさい」