伊勢神宮の正式な名称は「神宮」といいます。
神宮は内宮(皇大神宮)と外宮(豊受大神宮)ほか百二十五社で構成されています。
内宮(ないくう)には天照大御神(あまてらすおおみかみ)が祀られています。
外宮(げくう)には豊受大御神(とようけのおおみかみ)が祀られています、豊受大御神は天照大御神の食物を司る守護神です。
式年遷宮は神宮最大の神事でおよそ千三百年続く行事です。
二十年毎に御正殿をはじめ神宮総ての神殿や神宝を新しく作り替えるものです。
平成5年(1993)は61回目の式年遷宮でした、次回は平成25年です。
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日永の追分 |
十遍舎一九初期の「東海道中膝栗毛」は京を目指すものではなく、宮宿から七里の渡しで桑名に上陸し、四日市宿を過ぎ、日永の追分で東海道から分かれ伊勢神宮に向かう(伊勢参宮道)旅だったのです、ですから弥二、喜多の旅は「お伊勢参り」だったのです。
江戸期はこの「お伊勢参り」が盛んに行はれ、最盛期には半年間で五百万人にも達しました。
川柳「伊勢参宮大神宮にもちょっと寄り」とあるように「神宮参詣」を名目にした庶民の一生に一度の物見遊山の旅でした。
無事到着しますと「到着祝の酒、鯛の煮物・大海老二つ、菜のひたし、吸物」翌朝は「にしん、あわび、芝海老、豆腐さいの目の汁」昼は「膳に吸物、大皿にはアワビとぼら、御神酒」夜の宴は「膳が四つに吸物が五種、酒四升」。
そして仕上に古市に繰り出しました、古市は江戸吉原、京島原と並ぶ遊里、それこそ一生に一度の命の洗濯をしたのです。
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宇治橋 伊勢街道の終点 |
伊勢街道は「いせみち」「参宮道(さんぐうみち)」「山田道」とも呼ばれました。
東海道桑名の渡船場には伊勢の国「一の鳥居」が参詣人を迎え、日永の追分にも鳥居が立っています、ここが伊勢参宮街道の追分(起点)です。
東海道との分岐点である日永の追分には名物「追分まんじゅう」を商う茶店が軒を連ね賑わったそうです。
京方面からの伊勢参りは東海道関宿の鳥居から分かれ伊勢別街道に入り伊勢神宮に向かいました。
この桑名―伊勢神宮―関のルートが伊勢脇街道です、ちなみにこの桑名宿―関宿間に挟まれた石薬師宿、庄野宿、亀山宿は通行する旅人もまばらではなはだ振るはない宿場であったそうです。
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宿
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名 |
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神
戸 |
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白
子 |
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上
野 |
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津 |
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雲
津 |
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松
阪 |
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小
俣 |
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山
田 |
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宇
治
橋 |
宿
間
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8
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行
程 |
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74.1km |
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@30.1km |
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A44.0km |
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@20.7km |
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A27.5km |
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B25.9km |
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伊勢参宮街道の行程は東海道日永の追分から内宮の入口宇治橋迄です。
宿村大概帳 十五里参十五町
実 測 74.1km
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宿
場
名 |
関 |
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楠
原 |
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椋
本 |
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窪
田 |
─ |
津 |
宿
間
q |
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6 |
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4
・
0 |
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7
・
8 |
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4
・
2 |
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行
程 |
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18.6km |
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伊勢別街道の行程は東海道関宿の「関の追分」から津「江戸橋の追分」迄です。
宿村大概帳 五里十八町
実 測 18.6km
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関宿 東追分 |
伊勢参宮道マップ |
「伊勢街道ウォーク」は年間を通して歩ける街道です。
伊勢参宮街道は伊勢湾沿いに南下する風光明媚な街道であり、伊勢別街道は宿並を色濃く残す東海道「関宿」がゴール(スタート)です、ワクワクしますネ。
サア「お伊勢参りウォーク」に出かけましょうか。
山と渓谷社から●「ちゃんと歩ける伊勢参宮道・善光寺街道 五街道ウォーク 八木牧夫著」が出版されました。」
「伊勢街道ウォーキング」にご利用下さい。
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「伊勢街道ウォーク」の記録です、マップと組合わせてお読み下さい。 |
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