デジカメのメディアとバッテリーのチェックを行います。 テレビのスイッチを入れ、天気の確認をします、お陰さまで三日連続の晴天に恵まれそうです。 夜が大分、白んできました、時計の針は5:10を指しています、それでは出立しましょう 朝方は大分涼しくなりました、両手をポケットに入れて宿を後にします。 昨夜、寝酒を入手したコンビニでカップうどんと握り飯で腹を満たします。 暖かいペットボトルのお茶を飲みながら、起点の鏡神社に向かいます。
鏡神社は義経が元服に使用した源義経元服の盥(たらい)を所蔵しています。
しかし兄の頼朝は勝手に朝廷から官位を受けた義経に鎌倉の地を踏ませませんでした。 父子は頼朝の引見後、再び京に護送される途中、頼朝の命により、ここで斬首されました、義経は父子の情を想い、二人の胴を一緒に埋葬しました、ゆえにここは平家終焉の地といわれます、宗盛は享年三十九歳、清宗十七歳でした、父子の首は京の六条河原に晒されました。
戦前までは大きな松が一本残されていました、江戸日本橋より数えて百二十六里目です。
左手の篠原神社本殿は応永三十二年(1425)建立の一間社隅木入り春日造りです(国重要文化財)。 篠原神社は餅の宮とも呼ばれ鏡餅の神が祭られています、この辺りは鏡餅発祥の地といわれ、篠原餅は立場名物でした。
建物脇に藍染用の瓶が逆さで並べてあります、この辺りは藍染が盛んでした。 ここ森家は明治三年(1870)に創業し、紺九の屋号で今日まで本藍染の伝統を守り続けています、三代目は人間国宝でした。
朝鮮人街道(黄色矢印)は近江八幡~安土~彦根を経て鳥居本で再び中山道に合流します。 この追分にあった享保四年(1719)建立の追分道標は、この先の蓮照寺の境内に移設されています。
銘酒玉の春の蔵元です。
本堂脇に芭蕉句碑「野洲川や 身ハ安からぬ さらしうす」があります。 野洲晒(さらし)は麻布を白くさらす工程に布晒があります、冬の川の中に据えた臼に布を入れ、杵で突く作業で過酷な重労働でした、
紫式部は「打ち出でて 三上の山を 詠(よまれ)れば 雪こそなけれ 富士のあけぼの」と詠んでいます。 又、三上山は平将門を討取った俵藤太(藤原秀郷)のムカデ退治で知られ、百足山とも呼ばれました。
スグ先の伊勢戸川手前の左手が吉身高札場跡(標識)です。
東海道の石部に通じています。 この石部道の途中に平重盛(清盛の嫡男)の一族高野宗定が善光寺如来の分身を授かり、創建した新善光寺があります、信州の善光寺と同じ御利益があるところから善男善女で賑わったといいます。
主は妻子に助勢して仇を討たせて恩返しをしたという物語です。 並びに中山道街道文化交流館があります、旅人や市民のふれあいの場として利用されています。
不動堂には興郷大師の作といわれる不動明王坐像(国重要文化財)が安置されています。
守山銀座交差点を直進します、左折すると先にJR東海道本線守山駅があります。
今宿交差点を横断すると左手に真宗大谷派湖東山専徳寺があります、慶長三年(1598)の開基で、本尊は阿弥陀如来です。
母公の法名は住然といいます、市村家は住蓮房の首を打った刀を所蔵していましたが、延宝五年(1677)大宝神社に奉納しました。
先の用水を越えると左手に閻魔堂村境の男女双体道祖神が祀られています。
俊太郎は六角獄舎に収容されましたが、禁門の変による兵火が獄舎に迫ると、逃亡の恐れありとして斬首されました、享年三十六歳でした。 明治二十四年(1891)その功績を称え、朝廷から正五位が追贈されました。
はた織機にかけるために、縒りあわせた麻糸のことをへそといいます。
境内にあった木造狛犬は重要文化財指定です、今は京都国立博物館に保管されています。
左折すると正面がJR東海道本線栗東駅です。 中の井川を百々川(どうどうがわ)橋で渡ります、中の井川は野洲川から取水し、流末は葉山川に落合います。
以降、JR線に沿って進みます。
当社には伝統芸能古式花踊りが伝わっています、応仁三年(1469)旱魃のため、村人が雨乞いの祈願を行ったところ、御神助により雨が降り、幸い豊作になりました、このため神前に御礼の踊りを奉納して祝ったのが始まりといいます。
明応二年(1493)の開基で、本尊は阿弥陀如来です。
大路井の一里塚とも呼びます、塚木はエノキでした、江戸日本橋より数えて百二十九里目です、そして中山道最後の一里塚です。
近隣の氏子からは安産の神としても篤く信仰されています。 アーケード道に戻って進むと正面に草津川隧道が口を開けていますが、くぐりません。 草津川は往時から天井川でした、通行の人々は土手を上り、草津川を越えました。
まだ昼飯前です、こんなに早く終了した街道ウォークは初めてです、こんなこともあるでしょう。 それでは撤収です、JR東海道本線草津駅に直行です。 偶然にも駅構内の売店で草津宿名物の姥が餅(うばがもち)の試食にありつけました、有難いですね! 信長に滅ぼされた佐々木氏の忘れ形見の幼子を託された乳母が餅を売って育てたという故事があります、お乳をあらわしている小さなあんころ餅です。 中山道踏破にご褒美を頂きました、感謝します!! 例のモノを仕入れて、乗車です、いつも車窓からの景色は夜景ですが、今日の景色は晴天です!!!
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