今回は青春18きっぷ作戦第2弾です! 前回の奈良井宿~福島宿ウォークの往復運賃は8,930円でした、今回の往復運賃は9,240円です、合計すると18,170円です。 青春18きっぷは11,500円ですから、第2回目にして、すでに元を取ったことになります、素晴らしいですね!! 5時間46分の長旅です、今は夏休みの真っ最中、大きなショルダーバッグを肩に掛けた高校生達が部活なのでしょう乗り降りしています。 全員、陽に焼けて真っ黒です、ハイ、私も決して負けていません。 塩尻駅からはワンマン電車になります、運転手さんが停車後、清算を行います。 JR中央本線の電車旅にはスッカリ慣れてきました、しかし到着時間は次第に遅くなり、タイムリミットは早目になってきます。 それでは猛暑日ウォークの出立です。
この分岐点には中山道案内標識があります。 道なりに進むと木曽町役場に突き当たります、初めて来た時は大同製鋼の工場でした。 役場前を右折(白色矢印)します、役場の外壁に案内標識「中山道→」が設置されています。
先に進むと左手の高台に廿三夜様、勢至大菩薩、新田記念、堤防記念、塩渕開発記念の碑があります、見学するには畑の中を通行しますので作物を傷めぬよう十分に気を付けましょう。
中平(なかだいら)村口にあって悪霊の侵入を見張っています。
この分岐点には道標「ここは中平 ←中山道→」があります。 次いで国道19号線高架をくぐります。
中平トンネルを抜けると下り坂になります、途中のY字路は右(白色矢印)に進みます。 スグ先で国道19号線に突き当たります、左(白色矢印)に進みます、この分岐点には道標「ここは鳥居 ↑中山道→」、先には元橋バス停、その向にはイオンの大きな看板があります、京方面から斜め右の上り坂に入ります。
この分岐点には丸太道標「↓中山道→」があります。 スグにY字路が現れます、右(白色矢印)に進みます。
この分岐点には中山道道標「←沓掛馬頭観音150m/木曽の桟0.5km JR上松駅3.2km→」と沓掛一里塚碑があります、碑には「京へ六十六里 江戸から七十一里 右坂上に在り」と刻まれています。
この木曽の桟は甲斐の猿橋、岩国の錦帯橋と並び日本三大奇橋の一つです。 二代目歌川広重は安政六年(1859)刊の諸国名所百景の中で信州木曽の雪で木曽の桟を描いています。
左手の木曽川沿いには桟温泉があります。
左手の1kmポスト「名古屋まで131km」を過ぎると、突然歩道が消滅します、
旧国道に入ると圧倒的に車の交通量が減り、やっと安心できます、街道沿いは木曽街道上松宿大曲のフラワー愛好会によって花々が植えられています、先程迄の地獄のような難所に比べると天国のようです。
口碑によれば、玉林和尚が甥の木曽義豊「上松蔵人くろうど)」の為に、源氏の守護神である八幡社を館の近くに勧請したものといいます。
上松の一里塚とも呼ばれます、碑には「中山道上松宿京へ六十五里 江戸より七十二里」と刻まれています、本来の位置は本町の角を曲がり、中町に入った所の左右に二基の一里塚がありました(碑より三十メートル下方)。 一里塚は土を丸く山に盛って造られているので、南に向かって右側を下の山と呼び、左側を上の山と呼んでいました。
階段口には案内標識「←中山道→」があります。
その結果、山林の大半が伐採され、荒廃していることに驚き、山村代官から山に関する一切の業務を取り上げ、この地に木曽山林の管理、保護、取締り等を行う藩直轄の材木役所陣屋を設置しました、木曽谷の人々の苦しみはこの時からといえます。
この分岐点には中山道道標「←JR上松駅0.9km/寝覚の床1.2km 木曽古道→」があります。 スグ先の中沢橋を渡ると見帰(旧三帰村)に入ります、先で国道19号線を跨ぎます。
芭蕉や十辺舎一九、そして島崎藤村も賞味しています、それでは右折(黄色矢印)して寝覚の床に向ってみましょう。
玉手箱を開けてしまい、白髪の老人になった浦島太郎が己の姿を写し見た池です。
この分岐点には寝覚簡易郵便局と上松町立上松中学校入口標柱があります。
石畳道口の手摺りに中山道標識が設置されています。
ここからは木立の中の小野原坂をグングン下ります。
京方面からは養護老人ホーム木曽寮標識の所から斜め右の草道の上り坂に入ります。
スグ先でJR中央本線を串ケ下橋りょうでくぐります、橋りょう口には丸太道標「←中山道↓」があります。 橋りょうをくぐり、突当り右折します。
神明神社の社殿は段上に鎮座しています、上松五社の一つで立町、倉本の鎮守です。 毎年十月第三土日に祭礼が行われます、この祭りが済むと木曽に一気に秋が来るといわれます。
明治十三年(1880)巡幸の際、立町に立ち寄り休息しました。
対岸の諸原集落とを繋いでいます。 立町の外れで旧道は国道19号線に合流します、この分岐点には丸太道標「←中山道↑」があります。
上り坂を進みます、左手の擁壁の切れ目からの草道(黄色矢印)は中央アルプスの空木岳への登山口です、旧道は直進(白色矢印)します。
今は右(白色矢印)に進みます、この分岐点には丸太道標「↓中山道→」があります。
ここが池の尻旧道東口です、この分岐点には丸太道標「↓中山道→」があります。
草道は途中から簡易舗装路になり、車道に突き当たります。
エドヒガンの裏側に回り込み、横の斜面を下ります(白線矢印)、そして丸太四本組みの小橋で、小さな沢を渡ります。
この看板の手前右手のガードレールの切れ目がエドヒガン旧道の西口痕跡です。
両側の擁壁の高さからして、国道19号線は堀切道です、右手の擁壁上の土道が本来の旧道痕跡でしょう。
PM4:41須原宿起点に到着です、本日のタイムリミットは松本駅行PM5:43です、1時間の余裕を以って到着です。 駅前に名物桜の花漬の老舗大和屋があります、サアここで例のモノを仕入れる予定でしたが、残念ながら、お休みです。 宿内にビールの自販機がありました、ところが1,000円札も500円玉も入りません、仕方がありません、美容室で100円硬貨に両替して頂き、無事入手しました。 ホームのベンチに座り、本日の打上げです、真夏日の街道ウォークで焼けた体にビールが沁み込みます。 すると急に暗雲が辺りにたち込め、冷たい風が吹いたかと思うと、突然の豪雨です、間一髪でした! 広重は須原として突然の豪雨を描いています、それにしても偶然です、浅からぬ縁を感じ、うれしくなります。 それにしても腹が減ったな、朝5時に例のカレーを食しただけです、帰路は6時間以上の長旅です、甲府駅で立ち食いソバでも喰いましょう。
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