JR横浜駅西口の天理ビル前をPM11:50出発です、相席が空いていましたので、狭いながらも十分に仮眠が摂れました。 AM5:47にJR名古屋駅に到着です、スグレモノでしょう、これで乗車料金は3,000円ポッキリです!! 余裕をもって名古屋駅からJR中央本線釜戸駅行の始発電車に乗車です、車中でコンビのお握りで腹ごしらえです。 釜戸駅に到着すると幸いにもタクシーが待機状態です、大湫宿迄の乗車料金は1,300円です。 とんとん拍子に大湫宿に到着です!!! あんなに暑かった大湫宿は今やスッカリ冬の佇まいです。
警察犬や盲導犬のように特殊な訓練をするとストレスにより犬の寿命は短くなるといいます。
天神坂を下ると京方面からのY字路があります、この分岐点に大湫宿方面を示す道標があります、左(黄色矢印)は北野天神を経由して、先程の北野坂分岐(Y字路)に出るルートで中山道ではありません、お気を付け下さい。
ここは三国見晴し台跡ですが、今は樹木が生い茂り、眺めは望めません。
広重は三国見晴し台辺りから眺めた細久手宿を描いています。
先で県道に合流(白線矢印)します。
庚申堂は寛政の大火で焼失し、享和二年(1802)宿の鬼門除けとして再建されました。
明治八年(1875)津島神社を日吉愛宕神社に遷座し、祭が再興されました。
日吉愛宕神社は細久手宿の鎮守です、参道口が細久手宿の京(西)口です、細久手宿は江戸(東)口の庚申堂、そして京(西)口の日吉愛宕神社に見守られてきました。
寛政十三年(1801)建立の馬頭観音像です、縁日にお参りすると九万九千回分の御利益があるといわれ、九万九千日観音とも呼ばれています。
平岩の辻からは上り坂になります、先で左の西の坂旧道の砂利道(白色矢印)に入ります。
石窟の上方に秋葉様の石祠が祀られているところから石窟前の坂は秋葉坂と呼ばれました。
この分岐点には東海自然歩道道標「←御殿場 3.2km 津橋 2.0km/↓鬼岩公園・松野湖 2.1km/鴨之巣一里塚 0.1km→」、青色歴史の道道標「←中山道→」があります、御殿場・津橋方面に進みます。
左に進みます、この分岐点には東海自然歩道道標「←津橋/鴨之巣一里塚→」とカーブミラーがあります。
碑には「定年後は生まれ故郷のこの地に戻り、田を整備し、アマゴ、岩魚、山女魚を養殖し、梅、柿、スモモを植え、鶏鴨を飼い、特攻で戦死した事を思い土地改良で食料の確保に務めた。」と刻まれています。
御殿場展望台からは東に恵那山(標高2191m)、北に御嶽山(標高3067m)、そして中央に笠置山(標高1128m)が望めます。
唄清水の向には大正二年(1913)建立の禁裡御所巡拝記念碑があります。
十本木立場標柱の前を左(白色矢印)に入ります、この分岐点には青色歴史の道道標「←中山道↓」や東海自然歩道道標があります。
立場の共同洗場でした、立場内には十本の松の大木があったことから十本木立場と呼ばれました。
石窟内には大きな三面六臂馬頭観音像と小さな馬頭観音像の二体が安置されています。
平癒の願をかけ、お供えしてある錐(きり)を一本借りて耳にあてます、耳の病が全快したら、その人の年の数だけ錐をお供えします、奉納する錐は本物でも竹などで真似て作ったものでもよく、紐で編んですだれのようにしてお供えします。 この前を通行した水戸天狗勢は耳神社の幟(のぼり)を敵の旗指物と思い、抜刀し臨戦態勢をとって進んだといいます。
青色歴史の道道標「←中山道→」があります。
この分岐点には東海自然歩道道標や青色歴史の道道標があります。
天文五年(1536)に建立された碑には「ひとりさえ 渡れば沈む 浮橋に あとなる人は しばしとどまる」の歌が刻まれています。
井尻交差点を直進します、斜め左の可児御嵩バイパスは新設された新国道21号線です。
御嶽の地名は明治に御嵩と改称されました。
水戸天狗勢は大湫宿で昼食を摂り、御嶽宿に宿営しました、一行は宿泊すると必ず、宿泊料やその他の支払いを済ませ、部屋を清掃して出立しました。 水戸天狗勢の後を幕府の追討総督田沼玄蕃頭意尊(げんばのかみおきたか)の大軍が追走していました、しかし一行に戦意は無く、絶えず二日の距離を保っていました、綱紀は緩み横暴な振る舞いが多く、天狗勢に比較して評判は良くありませんでした。
すると、首桶を縛っていた縄が切れ中から首が転げ落ち、落ちた首も動かすことが出来なくなったため、ここに埋めたといいます。 以来この地は桶縄手と呼ばれました、木曾街道膝栗毛の著者十返舎一九も、この地のことを詠んだ歌「桶縄手 今もその名を 朽ちさりき 塩漬にせし 鬼のくびかも」を残しています。
この分岐点にはこの道は中山道道標(黄色四角囲み)があります、京方面からは突当りのT字路を左折し、国道21号線に合流します。
この分岐点にはこの道は中山道道標(黄色囲み)があります、京方面からは斜め左に入ります。
槍ケ岳を開山した浄土宗の播隆(ばんりゅう)上人が建立したものです。
広重は伏見として、犬山街道の中恵土にあった伏見大杉(中恵土大杉)を描いています。 残念ながら樹齢千年といわれたこの大杉は昭和九年(1934)の室戸台風で倒れてしまい、今は 御妃塚名木大杉跡碑を残すのみです。 この大杉跡碑は犬山街道を進み上恵戸本郷南交差点を越え、左手の美容室TOM先の左手民家前にあります。
交差点左の国道248号線は名古屋道です。
村人が恐るおそる岩の割れ目を覗くと、龍の寝枕が残っていました、村人は龍洞寺を建立し、本堂の西にこの龍の枕石を祀りました。
解説に「この岩は、さざれ石(小さい石)が海底に堆積して地層となり幾万年もの間に岩となり、隆起して地上に出た堆積岩です。何時の時代に誰が何処から運んだか不明ですが悠久の時代を越えた「さざれ石の巌」です。」と記されています。 さざれ石の巌は君が代の一節に登場しています、日本国土の成立ちを表しています。
目の前の太田橋の歩道橋で今は安全に木曽川を渡れます、上流側には八百津の山並が遠望できます、木曽谷で切り出された材木は木曽川に流され、八百津で筏(いかだ)に組まれ下ってきました、今でも筏が上流から現れそうな気がします。 流れの中央で可児市から美濃加茂市に入ります。
すると石畳が現れます、大田の渡し場跡です、対岸は今渡の渡し場跡です。
碑の先を斜め右(白色矢印)のスロープ下ります。
宿並を進むと右手に増井写真店があります、ここの右手(黄色矢印)先が美濃太田駅です、ここが太田宿の起点です、本日の街道ウォークはここまでです。 刻限はPM4:14です、帰宅最終タイムリミットのJR高山本線岐阜駅行は4:56発です、余裕をもって到着です。 岐阜駅からは東海道本線の乗り継ぎです、岐阜駅→豊橋駅→浜松駅→静岡駅→熱海駅→横浜駅、そして0:04JR京浜東北線東神奈川駅に到着します。 6時間余りの電車旅です、通い慣れたもんです! 片手に例のモノがあれば、何てことはありません!!
|