※ 諸街道の価格表は下段に掲載してあります。
 |
| 右の道が旧中山道 |
そこまで五街道ウォークにこだわると言うのであれば、とりあえず最寄りの街道をチョット歩いてみるかと安易にトライしたとしましょう。
そうしますと、どうしても現在の東海道(国道1号線)、中山道(国道17号線)、甲州街道(国道20号線)や日光街道(国道4号線)をトレースしてしまうのではないでしょうか。
これでは信号の多さや車の排気ガスに閉口してしまい、早々にギブアップしてしまいます、同感です!。
確かにこれらの国道はおおむね旧街道(江戸期に整備され幕府の道中奉行が直接管理した五街道)をトレースしていますが、真の旧街道は微に入り細に入り国道と着かず離れずに存在し、山道や峠道では全く異にしている場合もあります。
 |
| 旧東海道の権太坂標識 |
正月恒例の箱根駅伝の実況中継の中で「選手が東海道の難所権太坂に差しかかりました」等の放送に接することがあります。
しかしながら実際の旧東海道の権太坂は全く別のルートです、駅伝のコースの権太坂は国道1号線なのです。
※ 「権太坂」 上方に向かう場合保土ヶ谷宿を過ぎしばらくすると急坂になります、ある旅人が地元の老人に坂の名を問うと、耳の悪い老人は自分の名を問われたと思い、「権太(ごんた)」と答えたところから「権太坂(ごんたざか)」となったとのエピソードがあります。
この坂を登りきりますと武蔵と相模の国境「境木地蔵」に出ます。
さしたる坂ではありませんが往時、江戸を早朝に出立し、戸塚宿までの十里が普通でした、戸塚宿を目の前にし、疲れきった体にはやはり難所だったのです。
坂の頂上左にある「投げ込み塚」からは人骨に混じって馬の骨も出土しています。
そこで旧街道をある程度、正確に歩くには見やすく、判断のし易い街道地図が必要になります。
最近、五街道「家康は慶長五年(1600)東海道から順次街道の整備に着手」生誕400周年記念とウォーキングブームを反映して、街道関係の出版が多くあります。
内容も学術的なものからガイドブック的なものまで多岐にわたっています。
ガイドブック的な本にはイラスト風の街道マップが掲載され旧所名跡や名物店等が色々と紹介されています、それこそ旅情を駆り立てる内容が満載されています。
しかし残念ながら大まかに描かれたイラスト街道マップでは街道を正確に歩くことは出来ません。
 |
| 出会い(中山道にて) |
街道を歩いていますと、やはり同じ志で歩いている多くの人達とすれ違います、団体であったり中年の夫妻、はては一人旅の人達です、これらの人達は判で押したようにガイドブックに人差し指を挟んで歩いています。
しばらく歩くと人差し指で挟んでいるページを開き、じっと睨んで立っています、よくこの光景に出会います、そんな時、余計なお世話かもしれませんが、この先の道筋を説明することがあります。
歩き始めた頃、東海道の箱根路を正確にトレースしたく、地元観光協会に問い合わせをしたところ、こころよく、そして親切にも箱根路のマップをFAXして下さいました。
よしこれでOKと勇んで出かけました。
小田原を出発し入生田の旧道を進み、東坂の石畳道とアスファルト道を繰り返し、やっと登り切り、芦ノ湖へ出る石畳の権現坂を下ると車道を跨ぐ木橋に出ます。
この橋を渡るとケンペル・バーニー碑があります、ここから杉並木の舗装路を下れば箱根権現の赤い大鳥居に出ます。
ところがFAXしていただいたマップでは木造橋を渡ると舗装路に出ず、土の小道を下り芦ノ湖に出るルートが示されていました、不思議な思いはしましたがそのまま進むとすぐに理解が出来ました、芦ノ湖畔のお土産屋さんが軒を連ねる所に出たのです。
簡略化された街道マップで歩いていますと迷道したのではないかと不安になることがよくあります。
こような時は地元の人に街道を尋ねることになります。
今までの経験で言いますと、若い人はまず駄目です、「この道は旧東海道でしょうか?」と尋ねますと大抵は「違いますョ、1号線は向こうの広い道です」との答えが返ってきます。
次にジイさんです、以前、掛川宿を過ぎ倉真川を渡り左に折れたのですが、どうも自信が持てませんでした。
そこで日向ぼっこをしているオジイさんに道を尋ねてみると「この道は本当の東海道だヨ、ところで何してるの」「旧東海道を歩いています」「俺の若い頃はよく自転車で島田に女郎を買いに言ったもんだよ、まだ橋が出来る前だったからヨ、手前に自転車を置いて渡し舟で渡ってナ」と豪気な話が延々と続く、道を尋ねるのはバァーさんに限ります。
迷道のひとつは曲がるべき分岐点を見落としてしまうこです、これが意外と始末が悪いのです。
甲州街道を甲府柳町宿から韮崎宿にむかう途中、竜王を過ぎ竜王新町の信号を斜め右に入るところを当時街道マップに信号名が入っていなかった為、うっかり見落とし、そのまま何の疑いも持たず進行してしまいました。
しばらくすると信玄橋に出ました、さすが甲斐は武田氏の地、信玄の名を冠した橋は見事と感心しながら橋を渡り始めようと思った途端、チョット待てよ甲州街道に信玄橋があったか、街道マップを確認したところ迷道が判明、戻りの足取りは重くなります。
もうひとつの迷道は旧街道が喪失してしまっている箇所です、これはかなり遭遇します。
東海道薩た峠を興津宿側に下ると往時を彷彿とさせる切通しがあります、ここを抜けると左右にお墓がありその先が工事中で道がありません(現在は舗装路になっています)、迷道してしまいました。
 |
東海道大磯の化粧坂 街道は東海道本線で分断されて
います、街道の延長線上には松並木が遠望できる、右
の線路下の地下道を利用します |
こんにち旧街道はそこかしこで鉄道、橋、道路、払い下げ等で分断されています。
それでも鉄道であれば踏切や地下道あるいは股線橋等の方策がとられています。
しかし橋は必ずしも往時の渡し場に架橋されているとは限りません。
このように街道が途切れている場所に遭遇した場合は視線を上げて見ますと解決することがあります。
置かれている場所から視線を上げ、よく見通してみますと松並木や家並みの中に旧街道が見出せます。
現在入手できる街道マップのほとんどは書籍形態です、これを持って歩くのははなはだ不便極まりないと言えます。
又、地図自体の縮尺は小さく、道筋の道標になる目標は入っていません、それは無理のない話なのです、旧所名跡の歴史解説に重点をおいている以上いたしかたありません。
駿河國(静岡県)を中心にしたあるウォークラリー用のルートマップを頂いた事があります、このマップは素晴らしいものでした。
街道筋の要所々の道標、信号名、郵便局、交番、橋名、はたまた目標になる店舗名や樹木等が記され、そしてトイレや水場まで記載されています、ルートを間違いようがありません。
しかし旧所名跡等の解説は割愛されています、ある意味無味乾燥は歪めませんネ。
 |
| 善光寺街道の製作風景 |
それではどの様な街道地図が理想なのでしょうか、簡単な事です。
@ 地図自体がまず見やすい縮尺である事。
A 街道筋の分岐点には必ず何等かの目標が記されている事。
B 各宿場の特色や旧所名跡の位置と簡単な解説が記されている事。
C 各交通機関が記されている事、これは往復の予定を立てる為と雨や雪、又は思はぬ障害等で途中断念した場合、最寄の交通機関にエスケープするのに必要になります。
D 宿泊施設等が記載されている事。
E 各種ご当地名物(饅頭や地酒等)が記されている事。
F 方位、縮尺距離が入っている事。
G 以上の情報が十分に満たされ且つコンパクトである事。
誠に残念ながらこの様な街道マップは見当たりません、そこで私し、街道マップを作ってしまいました。
 |
 |
| ちゃんと歩ける街道マップ |
現代版「分間延絵図」東海道五十三次で全長およそ28mあります |
 |
 |
| 折り畳んだ街道マップ |
蛇腹状の街道マップ ひと折り1kmにも設定できます |
 |
| 双眼鏡タイプ |
一日の行程が十里(約40km)としても「街道マップ」のサイズは折り畳んで高さ9cm、幅5.7cm、厚さ5mmのコンパクトサイズです、無論上記の条件は全て満たしています。
ひと折り1kmに設定すれば行程の進行具合や残り行程の目安にもなります。
マップを折りたくない方は双眼鏡タイプがお奨めです、両端をロールし輪ゴムで止めるだけです。
進行に従いカメラのフィルムのように巻き取って行きます、ポケットに入れても案外シワになりません。
その他アイデアは皆様次第です、マップの発送形態はロール状です、ご了承下さい。。
街道マップの在庫は一切有りません、オーダーが入る度に印刷して手造りでマップを作製しています。
街道ウォーカーさんから頂く最新情報やあらゆる情報を逐次、街道マップ原稿におとしアップデートしています。
街道はある意味生き物です、止まる事がありません、マップも進化し続けています。
これ以上の街道マップは無いと思っています、ご購入アクセスお待ちしています。

※ 街道マップは完全な手作りの為、納品には1週間前後の日数を要します。

|